「音楽演奏の社会史」

大崎滋生著「音楽演奏の社会史~よみがえる過去の音楽~」(東京書籍/1993)を読んだ。著者は桐朋学園大学教授であり日本の音楽社会史家。私はこれまで「文化としてのシンフォニーⅠ」(平凡社/2005)しか読んだことはなかったのだが、本書はひじょうに興味深い内容だった。
参考)Amazonのサイトからの引用
・現在、クラシック音楽のイメージを塗りかえつつある古楽器演奏の潮流を拓いた、演奏実践と音楽史研究の新しいパラダイム。内容(「BOOK」データベースより)
・いわゆるクラシック音楽はほとんどが過去の音楽である。なぜ私たちは過去の音楽に取り囲まれているのだろうか。いつからこうなったのか。「名曲」や「大作曲家」中心の従来の音楽史を見直し、人間の音楽的営為の全体を描く音楽社会史への序説。内容(「MARC」データベースより)


その序文に、
音楽の過去と現在についていま見えていることを、「歴史」「哲学」「実践」の三部に整理して、まとめてみたい。
とあるように、本書は単なる情報/知識の研究成果の集大成にとどまらず、過去の音楽に対して現代の我々はどう向き合うか、という問題について深い考察がなされている。

結論的なセンテンスを抜粋してしまえば、
・過去を徹底的に追及してみようと試みても、努力すればそれはわかるのか。社会的には過去のすべての復興は不可能であるだけでなく無意味である。
・「オーセンティシティとは絵に描いた餅」――過去の音楽のオーセンティックな姿の復興が実現可能と思われたのは、演奏慣習の研究が始められたころに、その問題関心の新しさに目を奪われた人々が抱いた幻想にすぎなかった。
・こう考えてくると、この種の研究は、期待させるような結論が得られないからといって、行わなくてもよいのではなく、私たちがしがらみから自由になる、頭をゼロにして考えることができる、という積極的な意味を持っていると言える。

というような話ではあるが、
第Ⅱ部復興の哲学/第二章歴史の復興とは何か
の章からもう少し抜粋してみる。
歴史家ランケによる「いかなる時代も直接神と向き合っており、その時代の価値はそこから何が生まれたかによるのではまったくなく、その存在自体、すなわち、それそのもののなかにある」という非常に有名な言葉がある。これは、それぞれの時代は固有の価値を持っており、したがってその時代の価値でしか計れないというを表明した、歴史の見方の革命とされている。
しかし、これに対し著者は以下のように反論する。
「すべての時代は直接、神と向き合っている」――これは真実だとなお思う。この部分については、やはりこう見ざるを得ない。しかし、それを肯定すれば論理的にも、私たちの時代もまた、過去の時代と同じように、直接、神に向かい合っている、ということになる。そう考えると、過去を過去の尺度で測るということは誰にできるのか。私たちはやはり神を通してしか過去と向き合えないのではないか。言い換えれば、私たちは過去を私たちの現在からしか見ることができないのである。そうであるとして、神はいったいどこにいるのか。神は私たちのなかにいるのである。つまり、過去の尺度で計ったつもりであっても、それ自体、私たちが創った尺度なのではないか。問われなければならないのは、その私たちの尺度である。そして歴史はどこにあるのかといえば、過去にあるのではなく、私たちの頭のなかにあるのであって、それはいま私たちがイメージし、創るのである。

さて、ささいなことを含め私が気になった箇所を以下に抜粋しておく。
●原典版(オリジナル楽譜)といっても、伝承されている資料をすべて吟味して、作曲者の書いたものか、またはそれにもっとも近いものに基づいて楽譜が作成されたにすぎない、そこには、その時代の誰もが知っている暗黙の了解事項は書かれていない。
●たとえば、十八世紀中頃の音楽について、装飾音の奏法がわからないときに、クヴァンツやエマヌエル・バッハの著した演奏法の書物を読んで参考にしようとする。しかしそこに書かれているのは、当時の演奏家がそれをどう奏したかということではなく、素人に説く原則論なのである。(中略)そこにはプロの音楽家の極意といったものは書かれておらず、その種のことは、弟子に秘かに伝授された。
●楽譜のない音楽と隣り合って楽譜のある音楽が存在していたのであり、楽譜のある音楽も即興(あらかじめ計られたものでもあり得る)を期待される音楽、あるいは即興を前提として書き記されている楽譜が存在していた。急速に、あらゆる要素を楽譜に書き記そうとする方向に向かい出すのは、十九世紀初めのことである。それは、余暇のできた近代市民たちが楽譜に書かれた音楽を演奏するようになるからであって、ピアノという楽器の登場と深く絡んでいる。楽譜に書かれた音楽の演奏がプロの楽師に委ねられていた時代には、細かい演奏指示がそこに書かれる必要はなかった。
●オーケストラではアマチュアはフォルテのトゥッティだけを奏していたので、プロはソロの箇所で即興をするということはあった。そういった証言はクヴァンツにもある。リピエーノ奏者(筆者注:合奏協奏曲においてトゥッティから大小に別れたアンサンブルのうち、より大きな集団を指す)がやってはいけないのは楽譜に書かれている以外の音を出すことで、逆にやらなければならないのは、楽譜に書かれているなかから自分が弾くべき音を選ぶことであった。(中略)フォルテやピアノの記号が記されているのはしばしばそのためであって、そのときはピアノの箇所は弾かず、フォルテのところだけ参加すればよかった、ここで注意しなければならないのは、この際ピアノやフォルテとは個々の奏者が出すべき音量のことではなく、演奏人数の増減によって音楽全体の音量が決められたということである。
●ストリンジェンドstringendoなど、語尾に-ndoの付いた進行形は典型的に十九世紀の表現である。たとえばだんだんに遅くするという指示はリタルダンド(ritardando)だが、十八世紀においてはほとんど使われず、それはadagioと表記された。よくallegroの楽章終わり二小節くらいにadagioと書いてあるが、もちろんallegroを突然adagioに変えろという指示ではない。

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