モーツァルト:ホルン協奏曲第3番変ホ長調K447

「モーツァルト ベスト101」(石井宏編 新書館/1995.11)という本を読んでいたら下記のような記述があった。
モーツァルト:ホルン協奏曲第3番について、アラン・タイソンが行った五線紙の透かし模様に関する研究によれば、この曲に使われていた紙の大部分は、「ドン・ジョヴァンニ」を書いた紙と同じものだった(1787年2月~10月)。しかし、この曲の紙のうち2枚だけは別のもので、それは1789年に作曲された「6つのドイツ舞曲」K571と同じ紙であった。

私は、この曲が書かれた用紙=「ドン・ジョヴァンニ」が書かれた用紙、と思い込んでいたので、「6つのドイツ舞曲」K571 と聞いて驚いたのだが、次のような事情があるらしい。「6つのドイツ舞曲」には1789年2月21日の日付があるため、その時期に作曲したと考えられてしまうのだが、調べてみたところ実際は弦と管とが別に書いてあり、弦の方は1787年頃に作られ、それに1789年に管楽器を加えて完成させ、自作目録に上記日付で記載したものと推定されているという。
この2枚が協奏曲のどの部分であるかはわからないが、その紙が「6つのドイツ舞曲」の弦楽パートの紙と同じものであるならば、1787年に作曲されたという意味で納得もいく。

そして自筆譜に関して「モーツァルト全作品事典」には下記のような記述がある。
奇妙なことに、第1楽章と他の楽章にそれぞれ別のタイトル・ページとページ番号付けがなされていることから、モーツァルトが最初はロマンツェとフィナーレを作曲し、ようやくあとになってから第1楽章を付け加えて、3楽章の協奏曲にしたのではないかという明確な可能性が示唆される。

また、オットー・ビーバは、ドール&カメラータ・シュルツのモーツァルト:ホルン協奏曲集のCD(camerata/2008)解説書において、下記のように書いている。
この曲の自筆譜は、かつてシュテファン・ツヴァイクが所有しており、彼の死後、遺族が大英図書館に寄贈した。それを見ると、モーツァルトはまず緩徐楽章(ラルゲット/ロマンツェ)、次にフィナーレ、そしてそれらとは別の作業工程で第1楽章を作っていたことがわかる。

ということで、モーツァルトは以前に作曲していた ロマンツェ、フィナーレ楽章に新たな楽章を付け加えると同時に、オーケストレーションにも改変を加えた(クラリネット&ファゴットの使用)のではないだろうか。
過去に作曲した曲の編曲の場合、モーツァルトが自作目録にそれを書き入れなかったという事実からも、そのようなことは十分に考えられることと思う。
https://zauberfloete.at.webry.info/200811/article_4.html

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