八ツ山通り

「八ツ山通り」とは、新品川橋から八ツ山方面(個人的には京急品川第一踏切までと思っている)への道路を呼ぶ。
(一部、品川から五反田駅前に通じる道路を八ツ山通りと称しているのを見かけるがあれは「ソニー通り」)
荏原神社の記事に書いた通り、ここは元々目黒川の河口に続く水路(流路変更後は支流)だった。
https://zauberfloete.at.webry.info/202004/article_30.html
現在の地図、北浜公園の下(南)あたりにある橋が新品川橋。
https://www.google.co.jp/maps/place/%E5%93%81%E5%B7%9D%E9%A7%85/@35.6205934,139.7398507,17z/data=!4m5!3m4!1s0x60188a5a6e148775:0x9a45c347f706db70!8m2!3d35.6284713!4d139.7387597

新品川橋から見た八ツ山通り。
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1958年に撮影されたこのあたりの様子(しながわWEB写真館より)
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次の交差点が山手通り。
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台場小学校近くの歩道橋から見た八ツ山方面。
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少し先右側にある利田(かがた)神社。
寛永3年(1626年)に、沢庵和尚が東海寺の鬼門除けとして勧請した弁天堂がはじめと伝えられ、洲崎弁天とも呼ばれた。
維新後、祭神を弁財天から市杵島姫命に変え、利田神社とされた。
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なお、この神社は古地図、(半島のような)猟師町先端にある弁天社。
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境内にある鯨塚。
寛政10年(1798年)5月1日、品川沖で体長九間一尺(約16.5メートル)、高さ六尺八寸(約2メートル)の鯨が現れ、品川の漁師たちが捕獲した。この大鯨は江戸中の評判となり、11代将軍徳川家斉が浜御殿(現在の浜離宮恩賜庭園)で上覧されたほどの大騒ぎとなったという。
境内にある鯨塚は、この「寛政の鯨」の骨を埋めた上に建てられた供養碑。
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鯨塚の先が旧目黒川河口の名残で、品川浦船溜まりと呼ばれている。
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北品川橋の手前は急勾配の坂になっている。
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北品川橋から利田神社方向を望む。
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北品川橋から品川インターシティ方向を望む。なお、この先右方向が天王洲橋に通じている
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天王洲橋から品川浦船溜まりを望む(4/25撮影)。
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京急踏切に続く八ツ山通り。
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京急品川第一踏切を通過する快特三崎口行き(2100形)と普通品川行き(1500形)。
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続いてやってきた普通神奈川新町行き(新1000形ステンレス車)。
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さらにもう一本、快特泉岳寺行き(新1000形ステンレス車/なお、この編成は昨年9月に製造された最新車両)。
この踏切は開かずの踏切として有名で、朝夕のラッシュ時には都バス(目黒駅ー大井競馬場)がこの踏切を通らずに第一京浜を迂回するコースになっている。
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すぐとなりにある品川第ニ踏切。
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ここを渡ったところが(現在残っている)旧東海道の始まりとなっている。
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昔と同じ道幅の旧東海道。
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