荏原神社

荏原神社*1は、品川区品川2丁目にある神社で、旧社格は郷社。旧称を南の天王社、貴布彌大明神という。荏原神社は「の天王*2」と呼ばれる。(Wikipediaより)
品川観光協会のサイトにも「品川の鎮守」とある。
https://shinagawa-kanko.or.jp/spot/ebarajinja/

目黒川にかかる鎮守橋。川の手前が南品川、神社のある向こう側が北品川。
DSCN7241.JPG
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鳥居と拝殿
DSCN7252.JPG
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拝殿屋根右側の龍
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ということで、まず問題。
荏原神社は北品川にあるのになぜ、「南品川の鎮守」、「南の天王」と呼ばれるのか?

その答えは、
神社が移転した
のではなく、
目黒川の流路が変更されたことにより、荏原神社の所在地名が南品川から北品川に変わったため。
(以前目黒川は荏原神社の北を流れていたが、現在は南を流れている。)


それでは現在の地図を見てみよう。
https://www.google.co.jp/maps/@35.617576,139.7425603,18z
目黒川が東西にまっすぐに流れており、北側に荏原神社がある(中央やや右下あたり)。
なお、左上、第一京浜国道沿いにあるのが品川神社。

次に古地図(芝高輪辺絵図)を見ると、目黒川は大きく蛇行しており、荏原神社(赤マル)は確かに川の南側にある。青マルは品川神社。
芝高輪辺絵図.jpg

目黒川の流路変更がいつ行われたかについては、詳細は不明(図書館が閉館中なので調べられない)だが、大正末期から昭和初期のようである。
境内に取り外された古い鎮守橋の擬宝珠・親柱が残されており、そこには「昭和三年」とあった。

ということで、以前目黒川が流れていた痕跡を探しに行ってみることにした。
まず、古地図はあまりに古すぎるので、手がかりとして昭和22年(1947年)の航空写真を参照してみる。
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E139.44.47.433N35.36.50.612/zoom/11/?data=showa-22:map
画面左下の目黒川をまたぐ第一京浜の東海橋の右上あたりから放物線を描くような形が見える。
(357という数字から、本照寺の南を通って荏原神社の北を目黒川に向かって右下に下りる帯上の形)
これが以前の目黒川の流れに間違いないと考えられる。
旧東海道の品川橋は現在の目黒川の流れに対して斜めに架けられているが、以前のこの流れに対して直角に架けられているということが納得できる。
念のため、昭和38年(1963年)の航空写真も参照してみた。
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E139.44.47.433N35.36.50.612/zoom/11/?data=showa-38:map
家は建っているが、上記の形ははっきりと残っている。

なお、この当時、山手通りは第一京浜にぶつかったところで終わりになっており、その先が開通するのは昭和40年(1965年)代以降ではなかったかと思う。京急が高架化され新馬場駅ができたのが昭和51年(1976年)だったので、その頃だったのかも知れない(詳細不明)。

まず、東海橋から見た目黒川。現在の地図の左下「首都高速中央環状線」の「状線」あたり。
DSCN7254.JPG
おそらくこのあたりから目黒川は河口に向かって左に蛇行していたのだと思われる。
東海橋上から見た第一京浜(品川方面)。右手に山手通りがつながっている。
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第一京浜の信号を渡る。京急高架下、正面が山手通り。
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山手通り左側にある本照寺。このお寺は川の北側にあったことは古地図でも確認できる。ということは、現在の山手通りのこのあたりに目黒川が流れていたことになる。
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山手通りを渡って荏原神社の裏側(現在の地図の「品川図書館前」という文字のあたり)。右手に神社の拝殿が見える。
DSCN7261.JPG

道を少し進むと右手に下りながら折れる道がある(現在の地図の天神湯の向かいあたり)。
DSCN7263.JPG
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ずっと下って行くと最終的には行き止まりであったが、川に近いところまで家が建っていた。おそらくこのあたりが目黒川が流れていたところであろうと思われる。

これ以上の痕跡は発見することができなかったが、結局現在の地図の鎮守橋と品川橋の間あたりで現在の目黒川の位置にたどり着き、再び北に向きを変えて新品川橋(品川橋の次の橋)付近で左に折れ八ツ山通りを流れて行ったということになる。

なお、この流路変更/直線化が行われた際、本来の目黒川の河口への流路(現在の八ツ山通り)は支流として残された。
昭和38年の地図で見るとそのことがわかる(「マルエツプチ」の文字の「チ」の先を左に折れる流れが以前の目黒川本流)。
https://map.goo.ne.jp/map/latlon/E139.44.47.433N35.36.50.612/zoom/11/?data=showa-38:map

新品川橋から見た八ツ山通り。
DSCN7274.JPG
なお、この新品川橋と八ツ山通りの歴史は意外に新しく、旧目黒川本流が埋め立てられたのは昭和43年(1968年)、新品川橋が架けられたのは昭和47年(1972年)とのことである。

洲崎橋(現在の地図の「山手トンネル」の「手」の文字のところ)から見た新品川橋。
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ついでに近くの寄木神社*3に行ってみる。
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水盤についている龍。
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なお、この神社は古地図右上の半島のように突き出た「猟師町」のつけ根あたりに位置する。

*1 荏原神社
元明天皇の御代、和銅2年(709年)9月9日に、奈良の元官幣大社・丹生川上神社より高龍神(龍神)を勧請し、長元2年(1029年)9月16日に神明宮、宝治元年(1247年)6月19日に京都八坂神社より牛頭天王を勧請し、古より品川の龍神さまとして、源氏、徳川、上杉等、多くの武家の信仰を受けて現在に至っています。明治元年には、准勅祭社として定められました。神祗院からは府社の由来ありとされました。現在の社殿は弘化元年(1844年)のもので、平成20年で164年を迎えました。(中略)
往古より貴船社・天王社・貴布禰大明神・品川大明神と称していましたが、明治8年、荏原神社と改称。
以上荏原神社HPより。
http://ebarajinja.org/

*2 南の天王
地元では荏原神社を「南の天王」、品川神社を「北の天王」と呼ぶ。
https://zauberfloete.at.webry.info/202004/article_25.html

*3 寄木神社
慶長年間(1598~1614)創建、江戸名所図会にも描かれてる漁師町の鎮守。
https://jinjamemo.com/archives/yorikijinja.html

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