カラヤン/シベリウス交響曲の演奏・録音

カラヤンによるシベリウスの交響曲の演奏会記録および録音時期を年代別に作成した。
なお、演奏会の記録は、
「ヘルベルト・フォン・カラヤンの作曲家別演奏史」 
http://www.karajan.info/concolor/1957/Composers.html
を参照させていただいた。
以下、太字は録音、それ以外は演奏会。
左端から交響曲番号、演奏/録音年月日、オーケストラとなっている。

交響曲
(番)  (年月日)    (オーケストラ)
 6  1938年2月7日 ストックホルム放送響
 6  1938年9月27日 ベルリン・フィル
 1  1939年3月25日 アーヘン市立歌劇場O

 1  1942年2月8・9日 シュターツカペレ・ベルリン
 4  1943年4月18・19日 シュターツカペレ・ベルリン
 7  1948年2月21・22日 ウィーン交響楽団
 5  1949年10月5・6・7日 ストックホルム放送響

 5  1950年11月11・12日 ウィーン交響楽団
 5  1951年10月12・13日 ミラノ・スカラ座O
 5  1952年7月28・29日 フィルハーモニアO(EMI)
 5  1952年8月16日 ルツェルン祝祭O
 4  1953年7月6・7日 フィルハーモニアO(EMI)
 5  1953年11月20日 フィルハーモニアO
 4  1955年5月1日 フィルハーモニアO
 6  1955年7月4・5日 フィルハーモニアO(EMI)
 7  1955年7月5・6日 フィルハーモニアO(EMI)
 5  1955年10月14・26・31日,11月3・9・19日 フィルハーモニアO
 5  1957年5月24・25・26日 ベルリン・フィル
 5  1957年5月24・25・26日 ベルリン・フィル(SONY)

 2  1960年3月28・29日 フィルハーモニアO(EMI)
 5  1960年9月20・21・23日 フィルハーモニアO(EMI)
 5  1965年2月22・23・24日 ベルリン・フィル(DG)
 4  1965年5月13・14・16日 ベルリン・フィル
 5  1965年5月13・14・16・18日 ベルリン・フィル
 4  1965年5・9月 ベルリン・フィル(DG)
 5  1965年9月5・9日 ベルリン・フィル
 6  1967年4月18日 ベルリン・フィル(DG)
 7  1967年9月19・20・21日 ベルリン・フィル
 7  1967年9月20・21日 ベルリン・フィル(DG)

 5  1973年5月26・27日 ベルリン・フィル
 5  1976年9月20・21日,10月18日 ベルリン・フィル(EMI)
 5  1976年10月16・17日 ベルリン・フィル
 4  1976年12月27・29日 ベルリン・フィル(EMI)
 5  1977年8月31日 ベルリン・フィル
 4  1978年1月28・29日 ベルリン・フィル
 5  1979年12月8・9日 ベルリン・フィル

 6  1980年9月 ベルリン・フィル(EMI)
 2  1980年11月16・17日 ベルリン・フィル(EMI)
 1  1981年1月2日 ベルリン・フィル(EMI)

以上をまとめると各曲別の回数は下記の様になる(数日間に渡る同一プログラムの演奏会は1回とカウント)。

         演奏会    録音
交響曲第1番   2      1
交響曲第2番   0      2
交響曲第3番   0      0
交響曲第4番   4      3
交響曲第5番  13      5
交響曲第6番   2      3
交響曲第7番   2      2
計         23     16

実際の演奏会で採り上げられた回数および録音の点数とも、第5番が飛び抜けて多い。やはり第5番はカラヤンにとって中心レパートリーだったと言える。
初めての録音(1952年)も第5番だが、ある資料によれば「第6番を先に録音したいが、売れ行きを考えて第5番にした」とも伝えらえれているという。
そして次の曲は意外なことに第4番。演奏会でも1940年代から70年代末まで採り上げられており、録音も3点ある。第6番も録音は3点あるが、演奏会では最初期の2回のみとなっている。
逆に、第7番の場合、録音は2点(EMIへの再録音は行われなかった)のみだが、演奏会では1940年代と1960年代に採り上げられている。
いずれにしても、カラヤンが積極的に取り組んだシベリウスの交響曲は第4~7番にほとんど限定されると言っても良いだろう。
第2番が1回も演奏会で採り上げられなかったというのも驚くが、第1番も最初期に演奏会で採り上げられてはいるものの、その後はまったく演奏されなかった。結局この2曲は有名曲ということもあり、カタログを埋めるために録音されたのではないかと思われる。

なお、カラヤンのEMIへの最後の録音はムター/ウィーン・フィルとの「四季」(1984)とのことだが、ベルリン・フィルとの録音は、ケルビーニ、プッチーニ、マスカーニなどの序曲・間奏曲集(1980・81)、および「さまよえるオランダ人」(1981・82・83)あたりが最後なのではないかと思う。
「さまよえるオランダ人」は、1981・83年がベルリン、1982年はザルツブルクでの録音らしく、1983年が予備/最終セッションだったと考えられる。
とすると、交響曲第1番が録音された1981年というのはEMIとの録音のほぼ最後の年だったのではないか。もし、カラヤンに第7番の再録音を行う意思があったとしても、時期的に果たせなかったのだろう。

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