最近読んだ本 2014/10

10月は読んだ本が少なかった。旅行に行ったり、演奏会があったり忙しかったせいもあるが、図書館に予約していた本のうち順番が回ってきた本が少なかったことがその主要な原因と思われる。それにしても本当に最近は自分では滅多に本を買わなくなった。置き場所の問題もあるが、とにかく時間はあっても買った本だと(安心して)なかなか読まないという事実・・・。が、図書館で借りた本であれば何とか返却期限までに読み切ろうと努力する。いずれにしても図書館というものはいろいろな意味で便利なものであると最近特に思う。

●「生き物たちに魅せられて」日高敏隆著(青土社/2014.10)
各種出版物で発表された原稿、および講演会の記録などを集めた内容。日高敏隆はかの竹内久美子女史の先生だが、私自身その著作を読むのは初めて。竹内女史がさんざん書きまくった話と重複した内容もなくはないが、あらためて興味深い学問(とその知見)だと思う。面白い話が満載であるが、中でも遺伝と学習の話には認識を新たにさせられた。
一般的に、勉強とか学習とかいうのは、遺伝的な情報として体にあるいは遺伝子に組込まれていないような情報を獲得することだ、それをさせるのが教育だと思われています。
が、ウグイスのさえずり方法習得の実験を通じて、以下のようなことが明らかになった。
ウグイスが「ホーホケキョ」と啼くのは本能だから、おとなになれば自然に唄えるのかというとそうではない、学習しなければダメ。
・ヒナが孵ったばかりで、耳ができていない、音が聴けない状態で隔離して、完全に遮音してケージの中で育てる。
・そこにスピーカーから親鳥の囀りを聴かせてやる。ヒナはそれを覚えて学習していく。
・あまり遅くに親鳥の声を聴かせてもダメで、生まれて半年もしてから聴かせてやっても学習できない(時期も決まっている)。
・ウグイスにカラスの声を聴かせてみても、ヒナは知らん顔をしている。試しにウグイスの声のテープに切り替えるると途端にそれを聴く(学習のお手本がどういうものかが具体的に分かっている)。
以上の実験から下記のようなことが明らかになる。
学習というものは、遺伝的なプログラムの中に乗っている。
囀りを学習しなさいという、これは遺伝的プログラムです。そしてその時期は、プログラムですから時期があるのですが、卵から孵ったのち、数日後から一ヶ月ぐらいのあいだに学習しなさい、その学習をするときには親の声を聴いてしなさい、お手本とすべきはこういう声です、ということまで、遺伝的にちゃんと指示が入っていて、ヒナはそれに従って学習をしていくらしい。


●「獅子と狛犬~神獣が来たはるかな道~」MIHO MUSEUM編(青幻社/2014.9)
図書館で貸し出されていた本なのだが、MIHO MUSEUM(滋賀県甲賀市信楽町)で現在開かれている展覧会の図録と思われる。
http://www.miho.or.jp/japanese/inform/head_new.htm
興味深い像の写真満載で詳細な解説が付いている。東京近郊であればぜひ観たいと思うがとても遠くて観には行けない・・・。巡回の予定はあるのだろうか?
以下、基本的な解説を一部要約。なお、本書ではシーサーについてはまったく触れられていない。
日本における一対の守護獣は、基本的に口を開けて咆哮するかのような阿形と、口を閉じて睨み付けるような吽形を左右に配置するのが一般的とされている。そして、吽形の頭部には角があることが少なくなく、本来、阿形は「獅子」、角のある吽形像を「狛犬」というらしい(今日では両方の像を合わせて「狛犬」ということが多い)。

●「オーケストラがやって来た が帰って来た!」山本直純著(実業之日本社/2014.9)
1970年代前半に書かれた本の復刊。私自身、この本はおそらく一回は読んだことはあるとは思うのだが、現物は見当たらなかった。音楽一般について語られている部分よりも、その生い立ち、齋藤秀雄に学んでいた時代などのエピソードは面白い。特にアイザック・スターンが来日した時の話は感動的だった。

●「孤独の力」五木寛之著(東京書籍/2014.9)
孤独という言葉には、つらい、悲惨である、できるだけ避けたいものだというような否定的なイメージが強いが、はたしてそうなのか、孤独というのはそう悪いものではないのでは、という立場からのメッセージ。親鸞、法然、西行、蓮如、ブッダ、イエス・キリストなどの言葉、行動などを紹介しつつ、「人間は独りで生まれ独りで死んでいくのだという、孤独というものをちゃんと見つめる気持ちがあれば、それにささえられるものは決して少なくないだろう」という言葉で締めくくられている。

●「泣いたの、バレた?」酒井順子著(講談社/2014.9)
週刊現代2013年5月11・18合併号~2014年5月31日号に連載されたエッセイ。時代の流れに対応したテーマをいつもながら鋭く正しい視点で分析してくれる酒井さん。たまには抜粋。
明治時代の小説を読んでいると、登場人物はしばしば、友人知人の家をアポ無し訪問しています。固定電話も無い時代、メインの通信手段は、手紙。すぐに話したい人がいたら直接会いに行くのが最も手っ取り早い手段だったのです。
私も子供の頃は、近所の友達の家を「あそぼ!」とアポ無し訪問したものです。が、今の子供達にその経験は無いことでしょう。子供であろうと大人であろうと、何かをするにはアポイントメントが必須。アポ無し行為ほど野蛮なものはなく、アポ無しで何かをしようとして相手に断られたら、その人には深い傷が残ることになる。
通信手段がありすぎることによって、人の中には”溜め”が無くなったようにも思います。のべつまくなしに誰かに「連絡」しているうちに、伝えたいことも出し尽くし、「伝える」ことより「つながる」ことが目的化。伝えたいことは特に無いけれどつながってはいたいということで、ラインのようにスタンプなどというものを送り合うようになったのではないか。
対して明治時代の人は、アポ無し訪問した相手が在宅していた時、どんなに嬉しかったことでしょう。会えない間に溜まった話が、ほとばしったに違いありません。


●「猟師の肉は腐らない」小泉武夫著(新潮社/2014.7)
著者は東京農業大学卒の農学者、発酵学者、文筆家で著書も多い。ノンフィクションかそうでないのかは別にしても、ひじょうにエキサイティングな内容だった。方言そのままの会話など読みにくい部分も少なくないが、臨場感は抜群で読み応えは十分。最近読んだ本の中では一番のお薦め。

●「ペーターのドイツ世界遺産全踏破」ペーター・エンダーライン著(平凡社新書/2014.7)
2014年5月現在、ドイツにある38件(35件が文化遺産)の世界遺産について、その成立年代順に解説された書。ドイツとはいえ、フランク王国、神聖ローマ帝国、プロイセン、ドイツ帝国/ヴァイマール共和国という歴史の流れもふりかえることとなる。私が行ったことがあるのは10件くらいではあったが、ノイシュヴァンシュタイン城や、ローテンブルク、ハイデルベルクなどが世界遺産には登録されていないのも不思議である。ドレスデン、エルベ渓谷の架橋による登録抹消の話は有名だが・・。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック