「美術、応答せよ!~小学生から大人まで、芸術と美の問答集~」

著者は森村泰昌、月刊「ちくま」に2012年1月号~2014年2月号に連載されたもの。2014年7月に筑摩書房から単行本として出版された。
美術に関する問答集で、質問者は大学や高校の先生、美術家、美術に興味のある人、そうでもないが聞きたいことのある人、大学生、小学生と多彩。そして森村が多くの難問に「応答」する。
とにかくひじょうに面白い。美術に関する入門書/解説書としては、他にはないユニークで、わかりやすく、納得できる内容であり、美術という領域にとどまらず、物事に対する新しい見方や考え方をも示唆してくれる。美術関係者・愛好家に限らず、多くの方々に読んで欲しいと思う。絶対のお薦め本。
酒井順子女史は、週刊誌の書評の中で本書について下記のように述べている。
そんなわけで、アートについての「わからなさ」について答えを示してくれそうな本書を手に取ってみた。(中略)結論から言うと、私が本書で理解したのは「わからなくてよいのだ」ということ、そして「わからなくて当然なのだ」ということだった。(以下省略)
さて、以下は個人的に気になった箇所の引用、一部要約(フォントは通常のまま)。
●絵というもの(あるいは美術作品というもの)は、たった一点のみでは成立していないという事実を見失うべきではないと言いたいのです。難しく言えば、すべての美術作品は運命的に美術史の文脈のどこかに必ず位置づけられている。
画家が自分ひとりの力で独自の絵を描いているなどと思いこむのは傲慢です。(中略)それらの技法を駆使して、無数の画家たちが無数の試行錯誤をくりかえし、その長い長い歴史の上に我々の今がある。この幾多の努力の成果に興味を持たないことと、先入観なしに自力で鑑賞することとを混同してしまってはいけない。(中略)自分の目が一番大事だからとあせってしまうと、自分とは異なる見方をする人をついつい排除したくなったり、一見どうでもいいような細かい箇所を論じる美術史研究など無意味だと決めつけてしまうことにもなりかねない。
●人生に完成はない。しかし終わりはある。百年生きたからといって、人生の完成形が必ず見えてくるとは思えないし、短い人生だからといって、それが未完成にすぎないなどとは考えられない。終わりが来るまで走るほかはない。それが人生というものなのでしょう。(中略)
こうしたセザンヌや青木の絵から教えられるのは、絵には完成形はないという意識の転換です。完成できなかったのではなく、絵は完成させえない、あるいは完成させてはならないという美意識です。
●人類の歴史というものは、すべてにおいてカジュアル化の道を突き進みます。(中略)「美術」から「アート」へ。この、美のカジュアル化現象は、もうあと戻りが難しいのかもしれません。
私はこうとらえます。「美術」とは「こだわることが美であるような世界」である。これに対し、「アート」とは「こだわらないことが美であるような世界」である、と。(中略)
美が日常生活のいたるところに偏在するようになったとき、つまり美のカジュアル化現象が常態となったとき、「美術」は「アート」へと変貌する。
●日本語のばあいは、日常も芸術も学問も、「美人」「美術」「美学」という調子で、すべてにおいて「美」という言葉が共通に用いられます。ところが西洋の語である英語では、日常的な美、芸術的な美、学術的な美に対し、Beauty,Art,Aesthetics と、それぞれにまったく異なった語が割り当てられている。(中略)
しかし、西洋美術のばあいはかならずしもこれと同じではありません。あるときは遠近法の正しい在り方の探求であったかもしれないし、またあるときは正確な自然の観察記録であったかもしれない。「美しい」かどうかではなく、「正しい」かどうか、「厳密」かどうかが問われるケースも西洋美術にはあったのです。
●昆虫採集と写真撮影のこのような酷似は、しかしながらテクニカルなプロセスだけに限りません。むしろ双方の体験がもたらす快感の在りようによって、両者はみごとに重なって感じられます。
たとえば、蝶が宙を舞っていたとします。しかし、昆虫採集に夢中になっている子どもにとって、あれはじつは蝶なんかではありません。なにかというと、蝶という形状に仮託された「時間」の推移です。「時間」の推移が蝶の動線と共に眼前に現れる。昆虫採集をする私が網でとらえたかったのは、新種や珍種の蝶ではなく、普段はなんともつかみ難かった「時間」という存在の在りようなんです。それは、ある日、ある時、ある場所に、まるで幽霊か精霊のように目の前に現れて、現れたかと思うやいなやスーッと逃げ去って行く。それを追いかけて素早く網で生け捕りにする。「時間」が網にかかったまま、残り香のように光を放っている。その輝く「時間」の息づかいと、その場に立ち会った私の息づかいが瓜ふたつであることにハッとする瞬間がある。この時なんですね、とらえられた「時間」とは、とらえた「私」のことなのだと無意識のうちに悟るのは。あの日、あの時、あの場所で輝いていた「時間」と共に、「私」自身も人知れず輝いていた。あれから何十年も経過した今になって、私も遅まきながらそのように確信できる心境になりました。



ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック

  • 最近読んだ本 2014/09

    Excerpt: ●「歌曲と絵画で学ぶドイツ文化史~中世・ルネサンスから現代まで~」石多正男著(慶應義塾大学出版会/2014.8) ドイツの音楽、文学、社会、ヨーロッパ絵画を対象にその歴史がまとめらている。音楽、美術.. Weblog: Zauberfloete 通信 racked: 2014-09-30 22:36