モーツァルト:セレナーデ変ロ長調K361(K370a)~その4 モーツァルトが意図した演奏とは~

今年の7月の演奏会でこの曲を演奏することになった。私にとっては2回目の演奏となる。
私が某団体でこの曲を初めて演奏したのは2005年の9月。使用楽譜はベーレンライター版ではあったが、その頃はそれほどスコアを読み込んではおらず、また練習回数もかなり少なかったのでやや消化不良の演奏ではあった。
とはいえその時の演奏には、プロ奏者および現役音大生の方が13人中5人も含まれており、その方々にかなり助けていただいたこともあり、本番はそれなりの水準の出来ではあった。当日の録音は今でも私の愛聴盤になっている。

さて、今回あらためていろいろな演奏を聴き直してみて感じたのは、新版(原典版)を使用するのは望ましい*1のだが、アーノンクールほかごくわずかの例外を除くほとんどの団体が、モーツァルトが楽譜に「書いた通りの」演奏をしているということ。
例えば、終楽章の冒頭、オーボエ、クラ、バセットホルンが吹く主題、ベーレンライター版では、6,7小節、14,15小節にはアーティキュレーションは何も書き入れられていないため、大多数のCDではその箇所を(最初の装飾音符と次の音符をスラーにする以外)すべてノン・レガート(スタッカート気味)で演奏している。
ブライトコプフ版やオイレンブルク版などの旧版では、この箇所は十六分音符4つずつのスラーがかけられている。ベーレンライター版にある通り、モーツァルトはここには何もアーティキュレーションは書き入れなかったのだろう。
しかし、何も書かれていない*2ということは、「その通りに(ノン・レガートで)演奏せよ」、ということなのか、「演奏者によるアーティキュレーションの付加を期待する」というどちらの意味なのだろうか?
http://zauberfloete.at.webry.info/201009/article_11.html
このフレーズはスラーとノンレガート(スタッカート)の対比で創られている、という見方もできなくはないが、私はやはりこここでは、何らかのアーティキュレーションを加える方が自然なのではないかと思う。従って、旧版のように4つずつのスラーでも良いし、最初の2つの十六分音符のみスラーを付けても良いのではないかと思う。
さらに、他にも、第6楽章(主題と変奏)における、主に2ndクラリネットや2ndバセットホルンによる伴奏音型(十六分/三十二分音符)にはスラーなどはほとんど付けられていない。にもかかわらず、このような箇所ではスラーを補っている演奏も少なくない状況である。細かい音符はそのままでは演奏が難しいため、スラーを付け加えているということのだろうか・・・。

*1 ブライトコプフなどの旧版には、ダイナミクス、アーティキュレーション、リズムなどモーツァルトが書いたものとは異なる表記(ミス?)が少なくない。しかし、モーツァルトが敢えて書かなかったアーティキュレーションを当時の慣習に従って追記してある箇所もあり、その点では有用と思われる。
*2 レオポルト・モーツァルト著「バイオリン奏法」の中には、下記のような記述がある。
スラーで弾くのとデタッシェで弾くのではいかに旋律が異なってくるかわかると思います。従って、音符に書かれ、指示されているスラーは非常に正確に守らなければなりませんが、多くの作品には何も指示されていないことがあるので、そういう時には、演奏者はいかにして適当な場所にスラーとデタッシェを音楽的に用うるかということを知らなければなりません。
また、アーノンクールは、その著作「音楽は対話である」の中で下記のように述べている。
18世紀において、器楽作品の声部にどのようなアーティキュレーションを施すかという事柄は、原則として演奏家にまかされていた。したがって作曲家は、一般的な演奏習慣の伝統や規範とは明らかに異なる演奏法を望む箇所だけを楽譜に示せばよかったのである。

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