トリルの奏法について

バロックからウィーン古典派あたりまでのトリルの奏法について、あらためて文献を調べてみた。原則としては、「主要音より高い音」からトリルを始めるということではあるが、トリルは前打音と深い関係があるということと、結局のところ、どの音にアクセントを置くかという点がポイントになるのではないかと思われた。
●レオポルト・モーツァルト:「バイオリン教本」
トリルの印(tr)の付けられた音符を弾く指は、強く押さなければなりません。そして、次の指を全音または半音高いところを指を上げたりおろしたりして、2つの音が交互に聞こえるようにします。
*長2度か短2度かについては曲の調に気を付けなければならないとあり、譜例はすべて高い音からトリルが始まっている。

●クヴァンツ:「フルート奏法試論」
どのトリルも、上または下からの前打音をその音符の前に付けて始まる。
(*クヴァンツは、上または下からの前打音を付けることを演奏家に当然期待していたものと思われる
前打音の付け方
先行音が前打音の付いている後続音より1度ないし2度高いところにある場合には、その前打音は上から取る。また、先行音が後続音より低い場合には、前打音は下から取る。

*なお、指遣いが例示されているトリルの音型は、すべて上からの前打音が付けられている。また、下からの前打音というのは主要音からのトリルという意味ではなく、その前に低い音を一音付け加えるということを意味している。

●カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ:「正しいクラヴィーア奏法」
「標準トリラー」はいつも、その上の2度上の音から弾き始められる。
*なお、ここでは他に「上からのトリラー」、「下からのトリラー」についても言及されているが、これらはトリルの弾き始めについての記述であり、主要音から始めるトリルのことではない。

さて、上記のうちカール・フィリップ・エマヌエル・バッハの著作には明示的に「トリルはその上の音から始める」と書かれており、レオポルト・モーツァルトの著作からもトリルは実質的に「上の音から始める」と解釈して良いだろう。さらに、下記のように書かれている文献もある。

●アーノルド・ドルメッチ:「17・8世紀の演奏解釈」
第2節 シェークまたはトリル
ここでの考慮の対象となるシェークは、シャンポニエール、パーセル、クープラン、ラモー、J.S.バッハおよびその息子たちに始まって18世紀に入るとほとんどすべての作曲家たちがさかんに使用した主要な装飾音である。このシェークは19世紀ピアノの名手の登場まで続いた。

*フンメルが1828年に、チェルニーが1841年にそれぞれ書いた教則本には「トリルは主要音から」とされている。
その主な特徴は下記の通り。
・主要音は和声の一部であり、補助音はその上部で全音1または半音1のところにある。
・これら2つの音のひじょうに速い交替が、少なくとも最初は上方の音に強拍がくるようなリズムで整えられている。


●エヴァ+パウル・バドゥーラ=スコダ:「モーツァルト 演奏法と解釈」
副次音トリル(高い音から始める)は、一種の鋭さと輝かしさが特徴であり、保守的理論家はこれをよしとする。なぜならば、それはアクセントのある掛留とその解決に分節できるからである。これらの欠点は、次高の音の強調によりメロディーの流れが不明瞭になることである。上昇音階においては次の音を強調してしまうので、旋律線の目標達成の意欲が弱められてしまうことがある。
とした上で、次のように述べられている。
18世紀後半の理論書をそのままモーツァルトに利用するなら、モーツァルトのトリル開始はなんら問題はない。副次音から始めればよいのである。しかし実際はそう簡単ではない。まさに18世紀後半は理論と実際がしばしば背反した時代であり、理論家の間でもしばしば意見が一致しなかった(タルティーニやアルブレヒツベルガーの例:トリルは主要音から が示される)。
そして、モーツァルトの作品をみると、その中には、主要音によるトリル開始だけが考えられるという場合がかなりあり、従って、一般的普遍的解決はできないとも書かれている。どのような場合かについては下記のような例が挙げられている。
・トリルの前にそれより一音高い音があり、しかもレガートで結合されているとき
・トリルの前に三つの音符からなる上昇または下降上拍ターンがくる場合
・トリルが不協和音の上にあるとき
・バス トリルの場合
・音階的に上昇する走句の終結のトリル
・トリルの前に同音が分離した上拍音としてある場合

そして、興味深いのは下記のような記述があること。
弦楽器の方ではピアノの方の19世紀の主要音の使用に加担していないことである。ピアニストは、だから弦楽器の演奏家に多く習得するところがある。このような弦楽器演奏家をよく聴いてみると、トリルのはじめの隣接音に多くの場合アクセントを置かず、上拍的に前打音として奏していることがわかる。これははなはだ巧みな中道と言うべきだ。つまりアクセントは主要音にあり、その前の隣接音は、トリルへのあまり目立たぬすべり込みの効果を持つ(K364終楽章の冒頭が例示される)。
とはいってもこの場合のようにトリルが短いと、短い前打音の軽い演奏は、ヴァイオリンなどよりもはるかに鈍重なメカニズムを持つピアノではほとんど演奏不可能である。


●インゴマー・ライナー:「正しい楽譜の読み方~バッハからシューベルトまで~」
http://zauberfloete.at.webry.info/201205/article_16.html
①トリルは必ず上接次音から始まる。
上接次音は誰の耳にも聴こえるように強調して演奏されなければならない。つまり、トリルとはっきり区別できるくらいの音の長さも強さも違わなければならない。
③トリルの速度は一定ではない。加速減速、途中での速度変化は推奨される。
④トリルは主要音の半分の長さで、主要音で止める。
⑤初めと終わりの音が大切であり、それらを明確に演奏する。

ということで、ここでも「上からのトリル」、そして上接次音が強調されると書かれている。

さてここで、もう一度、カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ:「正しいクラヴィーア奏法」に戻ってみよう。
「下からのトリラー」とは、プラルトリラーの変形のことであり(下表上段の左から二番目)、
画像

主要音に入る前にその下の音を付け加えるものである。そして、最初に一音または二音を上向前打音として書き加える記譜法もあったとのことだが、単に「tr」という一般的な記号をつけて、そこにどのようなトリラーを付けるかは奏者の判断に任せられることもあったという。
また、「上からのトリラー」とは上表の上段左から三番目のものであり、三つの下向前打音を加える書き方もされていたとのことである。

そして、レオポルト・モーツァルト:「バイオリン教本」の中には、
モルデント(イタリア語のMordere:咬むを語源としている)は、2~3またはそれ以上の小さな音符で、ひじょうに素早く、そして静かに装飾音を弾き本音をつかんだら直ちに消えます。従って本音だけが強く聞こえます。
という記述があり、このうち、本音の両隣り2音とそれにはさまれた本音の3つの音から成り立つモルデントは、まさしくC.P.E.バッハのいう「上からのトリラー」に対応している。

長々と述べてきたが結局のところ、前打音が、アクセントの付いた前打音と経過的な前打音に分けられるように、トリルにおいても、最初の音(上接次音/副次音)にアクセントを置くか、主要音にアクセントを置くかの違いはあれ、そのことが「上から/高い音から」トリルを始めるか、「主要音から」トリルを始めるかということとは一対一対応にならない。逆に言えば、上接次音からトリルを始めたとしても、主要音にアクセントを置く演奏法もあるのではないかということである。

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