1788年のモーツァルト

三大交響曲が作曲された1788年におけるモーツァルトの創作活動を追ってみた。なお、作成にあたっては「モーツァルト年譜~モーツァルト叢書5~」(音楽之友社/1974)、「モーツァルト:舞曲と行進曲全集」解説書ほかを参照した。
作曲の日付はモーツァルト自身により1784年から書き始められた「自作品目録」によっている。しかし、この作品目録については、明らかに1784年以降の作でありながら、これに書き入れられていないもの(ホルン協奏曲第3番変ホ長調K447、ピアノのためのロンドニ長調K485、フルート四重奏曲イ長調K298、12のニ重奏曲K487/496a、その他5つのノットゥルノやスザンナの差し替え用アリアなど)があったり、目録と自筆譜で速度指定が異なる(フィガロやドン・ジョヴァンニの序曲など)といった問題も指摘されている。また、モーツァルトはこの目録を後追いで記入(例えば、9月2日付のカノンは1785年に作曲されていたらしい)したり、まとめて記入したりすることもあったようである(6月26日にこの4作品が一度に完成されたとはさすがに思えない)。さらに、「レクイエム」がこの目録に記入されていないのは未だ完成されていなかったからであるが、「戴冠式」のようにかなり不完全な状態(ピアノの右手パートは第二楽章ではアウトラインしか記入されておらず、左手パートの伴奏はほとんど記入されていない)のものでも書き込まれている。
さて、そのようなことを前提にした上で1788年のモーツァルト(32歳)の創作活動を追ってみると、春までに作曲された曲はピアノ協奏曲第26番を始め数えるほどしかない。作曲や演奏会の依頼はほとんどない中、プフベルクへの借金の依頼(手紙は20通に及んだらしい)が増えてくる。
そして、ちょうど借金の依頼書簡が増え始めた頃から、その夏までに三大交響曲およびピアノやヴァイオリン・ソナタの名作が、そして9月末には不朽の名作、弦楽三重奏のためのディヴェルティメント変ホ長調が書き上げられることになる。

1月 3日 ピアノのためのアレグロとアンダンテK533
1月14日 コントルダンス「雷雨」K534
1月23日 コントルダンス「戦争」K535
1月23日 3つのコントルダンスK535a
1月27日 6つのドイツ舞曲K536
2月 4日 ケルントナール劇場でのドイツジングシュピールのシーズン、「後宮からの誘拐」上演で終了。
2月10日 モーツァルトがヴェネツィア大使アンドレーア・ドルフィーンの館で催された音楽会で演奏する。
2月24日 ピアノ協奏曲(第26番)二長調K537 
2月26日 モーツァルトはエステルハージ伯爵の館で、カール・フィリップ・エマヌエル・バッハのカンタータ「キリストの復活と昇天」を指揮する。アロイージア・ランゲも共演。
3月 4日 演奏会用アリア「ああ、恵み深い星々よ、もし天にあって」K538 アロイージア・ランゲのために書いた最後の曲。
3月 5日 演奏会用アリア「我は皇帝たらんもの」K539
4月 2日 ヴィーナー・ツァイトゥンクに、モーツァルトの予約出版(弦楽五重奏曲ハ短調K406、ハ長調K515、ト短調K516)の記事掲載。
5月   演奏会用アリア「手にロづけすれば」K541 ジュピター交響曲第一楽章の素材が用いられている。
http://zauberfloete.at.webry.info/200810/article_10.html
5月7日 オペラ「ドン・ジョヴァンニ」、ヴィーン初演(皇室、王室国立宮廷劇場)。アロイージア・ランゲはドンナ・アンナを歌った。その後、1788年だけで15回上演された。
6月    ミヒャエル・プフベルクに100フローリンの借金依頼。
6月17日 再度プフベルクに借金依頼(「1年か2年・・・1000グルデンか2000グルデン~少なくとも明日までに200グルデンか300グルデンくらい」)。
6月17日 ヴィーン市内から家賃の安い郊外に引越し。
6月22日 ピアノ三重奏曲ホ長調K542 この三重奏曲はプフベルクのために書かれたといわれている。
6月26日 交響曲(第39番)変ホ長調K543
6月26日 行進曲二長調K544 目録には書き入れられているが楽譜は失われている。
6月26日 ピアノ・ソナタハ長調K545
6月26日 アダージョとフーガハ短調K546
6月27日 プフベルク宛てに窮状を訴える手紙(「相当長い期間、相当の額を借りたい」)。
6月29日 モーツァルトの第四子テレージア(1787年12月27日生まれ)腸閉塞で死亡。
7月初め プフベルクに「質札二枚を抵当にするからなにがしかの金を立替えてもらいたい」と依頼。
7月10日 ヴァイオリン・ソナタヘ長調K547
7月14日 ピアノ三重奏曲ハ長調K548
7月16日 三重唱(カンツォネッタ)「数多くの恋人たちの間にも」K549
7月21日 コンスタンツェの一番上の姉「ヨーゼフ・ヴェーバーが、聖シュテファン教会の大聖堂でヴァイオリニストのフランツ・デ・パウラ・ホーファーと結婚。
7月25日 交響曲(第40番)ト短調K550
8月 2日 姉のナンネルへ手紙(ナンネルに宛てた最後の手紙)を書き、自作の「クラヴィーア曲を数曲」送る。
8月10日 交響曲(第41番)ハ長調K551
9月 2日 四声部・三声部のカノンK553~K559、K559a、K560~K562
9月27日 ディヴェルティメント変ホ長調K563 プフベルクのために。
10月27日 ピアノ三重奏曲ト長調K564
10月30日 2つのコントルダンスK565 目録には書き入れられているが楽譜は失われている。
11月    ヘンデル:「アチスとガラテア」を編曲K566 ゴットフリート・ヴァン・スヴィーテンのために
パストラールの部分がモーツァルトの指揮によって、慈善興業としてイグナーツ・ヤーンのレストランの広間で演奏された。
12月 6日 6つのドイツ舞曲K567 レドゥテンザールにおける宮廷主催舞踏会のために作曲。
12月15日 ヨーゼフ二世は九ヶ月にわたって留守であったが、病気になって12月5日にヴィーンに帰ってきた。この日、ブルク劇場における「ドン・ジョヴァンニ」の上演(モーツァルトの生前最後)を見物した。
12月24日 12のメヌエットK568 レドゥテンザールにおける宮廷主催舞踏会のために作曲。

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  • ハイドン:交響曲第91番変ホ長調

    Excerpt: この曲が作曲されたのは1788年(ニューヨークのピアポント・モーガン図書館所蔵の自筆譜による)。1788年というのはモーツァルトが三大交響曲を作曲した年にあたる。 http://zauberfloe.. Weblog: Zauberfloete 通信 racked: 2018-03-25 22:52