モーツァルトとハイドン

ハイドンの「告別」交響曲の初めての練習(7月の演奏会の曲目)があった。
第一楽章冒頭のヴィオラ以下のキザミを聴いていると、何となくモーツァルトのト短調(K183)の冒頭を思わせる音がしており、あらためてこの2曲のどちらが先に作曲されたのか調べてみた。
ハイドンはモーツァルトより先に生まれて、モーツァルトより後に亡くなっている。
○ハイドン:1732.3.31ローラウ~1809.5.31ウィーン
○モーツァルト:1756.1.27ザルツブルク~1791.12.5ウィーン
以前、ハイドンの交響曲第86番の作曲年代が、モーツァルトの場合、どのあたりの作品に該当するのか調べてみたことがある。
http://zauberfloete.at.webry.info/200707/article_3.html
ということで、パリ・セットはピアノ協奏曲第20・21番、「プラハ」と同じ頃ということがわかった。
そして、「告別」(および第46・47番)が作曲されたのは1772年(ハイドン40歳)。この年16歳のモーツァルトは、有名なK136~K138の3曲のディヴェルティメント、交響曲第16番(K128)~ 第21番(K134)、K131のディヴェルティメント、さらにはミラノ四重奏曲に着手、年末には「ルチオ・シルラ」を完成させている。
ということで、第25番の交響曲が作曲されたのは翌1773年ということになるが、いずれにしてもこの二つの作品がごく接近して作曲されたということは覚えておいても良い。
その後、ハイドンは50~70番台前半のシンフォニーを1779年頃までに書き上げるが、その頃(1779年)のモーツァルトは、交響曲第32・33番、「ポストホルン」セレナーデ、ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲などの傑作を次々と作曲している。モーツァルトの生涯は短かったがその密度は何と高かったことか。

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  • ハイドン:交響曲第45番嬰へ短調「告別」

    Excerpt: 今度の週末のコンサートでこの曲を演奏する。 ハイドンのシュトルム・ウント・ドランク時代の交響曲のうち、五曲の短調による交響曲の中で最後に作曲された(1772年)と考えられている第45番は、この時代の.. Weblog: Zauberfloete 通信 racked: 2011-07-13 22:17