「いい音 いい音楽」

五味康祐著(中公文庫/2010.12)、1970年代に読売新聞などに連載していたエッセイ集。
五味氏は自称「音キチ」で、2トラック、38cmテープでFM放送をエアチェックするなど当時としては最先端のオーディオ・マニアだったようである。
そして、スピーカー、アンプはもちろん、カートリッジ、アンテナ、接続コード、セッティングなど、およそ考えられる装置、パーツ、方法等を駆使して良い音で鳴らすための試行錯誤を繰り返す。その飽くなき情熱は普通では考えられないほどで、お金と時間、それに音を識別できる耳を持っていないとなかなかできることではないと思う。
私が共感したのは、「音色はさまざまな条件に左右される――たとえば、一つのスピーカー・エンクロージャーの良否を識別するには、最低三年の歳月が必要である。(中略)日ごろよく聴きこんだレコードを、まず(いろいろなジャンルの)十枚くらいを、晴天、雨の日、深夜、朝、さまざまな湿度や寒暑の季節にわたって聴きくらべて、はじめて綜合的な良否は判別できるものだ。」という一節。
そして、五味氏がすごいのは単なるオーディオ・マニアだったのではなく、それ以上に音楽を愛していたということ。ヌヴー、コルトー、リパッティ、ハスキルなど往年の名手を讃えつつ、一方でポリーニ、カラヤンなどを切って捨てる。さらに、グレード・アップにかける時間があるならば、いい音楽を、演奏を一度でも多く聴くことだと述べている。
「自らを省みて、ラジオアンプに六吋のスピーカーをつなぎ、息をひそめて名曲を聴いた貧乏時代の私と、贅を尽くしたオーディオ装置を持ついまと、どちらが真に純粋な音楽の聴き方をしているのだろうかと思うのだ。装置を改良し、いい音で鳴った時の喜びはたとえようもない。まさにオーディオの醍醐味である。しかし、すぐれた音楽を聴くときの感動や悦びはそれにまさるものだ。音楽には神がいるが音に神はいない。」と言い切っている。

芸術には「これが最も優れている演奏」という絶対的な基準や正解がある訳ではもちろんない。ある演奏に共感できるかどうかは個々人の感性や趣味嗜好によるものであり、人によってその評価が異なることも少なくない。が、いろいろな演奏を聴くことはまず必要であり、その中で自分が共感できるものを選びだしていく、言い換えれば自分なりの基準を持てるかどうかということが、その人なりの聴き方ができるかどうかということになるのではないかと思う。その意味で五味氏は、自分なりの確固たる基準/聴き方を持っていた人なのだろう。が、仮に持っていたとしても、あそこまではっきりと文章で表現できる人は少ない。

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この記事へのコメント

はがくれ弓師
2011年02月02日 18:05
読ませていただいていつか五味氏と同じタンノイオートグラフを持ちたいと願い、まずはIIILZを購入した若き日を思い出しました。五味氏の思いは今も色あせていませんね。ありがとうございました。
2011年02月02日 22:49
はがくれ弓師さま
コメントありがとうございました。本書には私が若い頃に読んだタンノイに関する文章は掲載されてはいませんでしたが、私も五味氏に影響を受けていたのか、気がついたらタンノイ派になっていました。今はターンベリーで聴いています。

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