「ベルリン・フィル あるオーケストラの自伝」

原題は<Die Berliner Philharmoniker Eine Biografie>著者はHerbert Haffner(ヘルベルト・ハフナー)、Schott Music GmbH より2007年に出版。なお、日本語版は市原和子の訳により春秋社から2009年8月に出版されている。
著者のハフナーは音楽・演劇を専門とするフリー・ジャーナリスト。
第1章 楽団の誕生(1882~87)、以下、ビューロー、ニキシュ、フルトヴェングラー、チェリビダッケ、カラヤン、アバド、ラトル、それぞれの時代という章建てになっている。
前半のプロイセン王国からドイツ帝国、ワイマール共和国、フルトヴェングラー登場あたりまでは、あらためてこの楽団の辿った歴史を顧みるという意味で興味深い内容になっている。
フルトヴェングラー以降については、さまざまな資料でさまざまなことが語られており、ここでの記述もさほど目新しい点は多くない。著者は、シュテルン、テーリヒェン、ヴァツェルなどの団員の言葉を引用しながら、その文脈を構成しており、概して中立的、客観的な立場を原則としながら、どちらかと言うと親フルトヴェングラーの立場が垣間見える(2003年にフルトヴェングラーの伝記を出版したとのこと)。
なお、当然のことながら、カラヤンの時代(1955~1989)に割かれたページ数は最も多く、この本全体の1/4の約100ページに及ぶ。また、アバド以降については我々にとっての現代史でもあり、何らかの文献、記事、報道等で既に公開されていることが大半であったが、中にはアバドのリハーサルにおける楽団の抵抗(?)のようなゴシップ記事も含まれている。いずれにしても、あらためてこのようなまとまった形で出版されたのは初めてのことと思う。
個人的に興味があったのは、もちろんカラヤンについての章。
私が今回初めて知ったのは、かのザビーネ・マイヤーの件に類したことが、それ以前にも何回も起きていたということ。
○1960年代初め、カラヤンが選んだスウェーデンのホルン奏者ベングト・ベルフラゲをオーケストラが拒否した。するとカラヤンはパリのベートーヴェン・チクルスを中止すると脅したがオーケストラが屈しないので、その後ゲルト・ザイフェルトが入団することで譲歩した。
○ゴールウェイが辞めた時、ロスヴィータ・シュターゲの優れた才能に惚れ込み後任に据えようとしたが、オーケストラは、コッホの音に比べて彼女の音が小さすぎると拒否した。
なお、この人は調べてみると1974年のミュンヘン・コンクールで2位に入賞している。

これ以外にも、私が知る限りブランデンブルクの録音にアラン・シヴィルを呼んできたり、テーリヒェン、ブランドホファらとの確執など、カラヤンの音色や音楽性に対する要求、というか理想が、楽団自身が持っているそれと一致しないことが少なからずあったということがこれらのエピソードから伺い知れる。
しかし、個人的には、その後楽団のこのような伝統はそのまま引き継がれているかと問われると、現在のベルリン・フィルの管楽器セクションのメンバーを見るかぎり、どこかで方向転換したかのように思えてならないのだが・・。

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