井阪紘:一枚のディスクに~レコード・プロデューサーの仕事~

現在、カメラータ・トウキョウを主宰する井阪紘氏による最新著作である(春秋社/2006.8)。
つい最近まで「レコード芸術」誌に連載されていたものの集大成であり、「レコード・プロデューサーの仕事」のサブタイトルの通り、井阪氏の40年に及ぶレコード制作の現場について興味深い話が数多く書かれている。
井阪氏は、1940年和歌山生。同志社大学経済学部卒業後、1964年日本ビクター入社。営業を経てクラシック音楽のプロデューサーとして78年退社までに150枚以上のレコードを制作。同年(株)カメラータ・トウキョウを設立。81~87年、群馬交響楽団音楽監督補佐、現在は運営理事。80年より草津夏期国際アカデミー&フェスティヴァルを開始、現在、事務局長。2000年より東京藝術大学音楽学部講師。 といった経歴を持っている。
私自身、ライスター&豊田=群響のモーツァルト:クラリネット協奏曲を始め、モーツァルト:弦楽五重奏曲全集、ウィーン・ビーダーマイヤー・ゾリステンによるウィーン音楽集など、井阪氏のプロデュースによるかけがえのないディスクを数多く聴いてきた。
井阪氏は、録音セッションでアーティストに次のように話しかけるそうである。
「どんな危険を冒してもいいから、自分が理想と思うその作品のテンポを選択して下さい。録音セッションでは、音を間違っても、演奏を途中で止めてもよいのです。・・・コンサートでは曲の途中で止まるわけにはいきません。まずは失敗しない安全なテンポを選び、ミスを減らさなくてはならないのです。」このことは、グレン・グールドの「編集はミスタッチに対する恐怖を除去し、稀有な美の瞬間を永遠性のあるものにする。」(「録音の将来」1966.4)という意見と全く同様であり、井阪氏はそこにこそ「レコード芸術」としての価値があるという。
さらに、井阪氏は「レコード芸術」とは、プロデューサーとアーティストが互いに意見を交換しながら、よりクリエイティヴな高い次元の演奏を目指す行為である、とも述べている。
DECCAのジョン・カルショウ、EMIのウォルター・レッグなど偉大なプロデューサーがあってこそ、LP時代に優れた名盤が次々に誕生したことは誰も否定しないだろう。プロデューサーとはアーティスト(演奏家)のパートナーとして、協働していく立場である訳だが、若手の演奏家相手ならともかく、一流の演奏家に対して音楽的なディレクションを行うというのは、かなりのお互いの信頼関係がないとできないことだと思う。
以前、ロッシーニ:弦楽ソナタ全集のライナーノーツに、井阪氏が、録音プロセスでリーダーであるE.セベスティアン氏(元バイエルン放送響コンサートマスター)と音楽上の解釈で対立した・・、という記述をしていたことがあり、当時はプロデューサーというのはそこまでするものかと訝しく思ったものだった。が、今回この本を読むと、ウィーン・フィルの現役のコンマスであるヴェルナー・ヒンク氏に対してさえ、テンポの指示のみならず、開放弦を使うなとか、音程の悪さを指摘したり・・と、普通(?)では考えられない関係であることがわかる。
あのカラヤンでさえ、ミシェル・グロッツの耳に全幅の信頼を置いていたという話があるが、自分の演奏の客観的な判断・助言をしてくれるという意味で、プロデューサーの存在価値があるのだろう。
我々素人は、優れた演奏家がコンサートで優れた演奏を行い、それをただライブ録音すれば優れたディスクができるのではと思ってしまう。しかし、そこに優れたプロデューサーがつくことによって、さらに高い水準の「レコード芸術」が生まれるであろうことも肯定せざるを得ない。

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