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本論に入る前に1973年のベルリン・フィル来日公演の話から始めたい。たしかNHKホール落成記念コンサート・シリーズで、NHKが後援しFMはたぶん毎日、テレビでも何回か放送されたことを覚えている。私は1970年の来日公演を始め、その後何回かベルリン・フィルをナマで聴いたが、この1973年の時のベルリン・フィルが最も素晴らしかったと今でも思っている。実際、録音においても1960年代終わりからゴールウェイ氏が退団する1975年頃までのディスクに私の最も好きな演奏が揃っており、まさにこの頃がベルリン・フィルが一つの頂点をきわめた時代であったと言えると思う。 この時は東京で7回、ベートーヴェンを中心としてバッハからシェーンベルクまで見事なプログラムを揃えた演奏会が行われた。私はその初日の10月25日(曲目はベートーヴェンの交響曲第5・6番という2曲プロ)、特別に入手したチケットを携え初めてNHKホールの3階席に座り演奏の開始を待っていた。 大きな拍手とともにカラヤン氏が登場し、まず君が代、続いて西ドイツ(当時)国歌が演奏された。これがまた素晴らしく格調の高い演奏で、大相撲の千秋楽や学校の入学・卒業式での君が代とは違い、なるほどこういう場面で国歌というものは演奏されるべきなのかと妙に納得したものだった。 一曲目は「田園」。重厚な低弦を土台とした素晴らしい弦楽器、前回(1970年)よりもさらに輝きと張りを増したと思える木管群、ベートーヴェンなので当然のことながらやや控えめな金管。よく歌い、良く流れ、そしてメリハリがきいていながら暖かい雰囲気。しかし嵐の場面での圧倒的なティンパニ(たぶんフォーグラー氏だったと思う)がそれまでの空気を一変させ、そしてその後の感動的な賛歌。終楽章の冒頭でハウプトマン氏がCの音をはずした他はオーケストラとして完璧な演奏だった。 休憩をはさみ交響曲第五番。冒頭から緊張感あふれる早いテンポで一気呵成に突き進むという印象で、ドイツ的な伝統と洗練されたスマートさを両立させながらその音楽に人々を引き入れるとも言うべき演奏で、ふと気がつくとどんどん終楽章コーダへ向けての道をひた走っているというまさに魔法のような演出・演奏だった。 話がやや逸れるが、この日、私にとって最も強烈な印象を残したのは第二楽章でのファゴットのギュンター・ピースク氏の音で、あれほど柔らかくニュアンスに富んだビロードのような音色を聞いたのはこの時が初めてのことだった。もちろん録音では何度も氏の演奏は聴いていたのだが、やはり実演でなければ聴けない音もあることをあらためて実感した。この日に「田園」を吹いたM.ブラウン氏や現在の首席のD.ダミアーノ氏もそれぞれに素晴らしい奏者ではあるが私にとってピースク氏はやはり神様、と今でも思っている。 最初にも述べた通り、私にとって1970年の時以上に感銘・感動・驚き・満足感を残したこの時の演奏会だった。この2年後の1975年、同じNHKホールでベーム=ウィーン・フィルのベートーヴェン4・7番の演奏も私は聴いているのだが、今思い出してもこの時のカラヤン=ベルリン・フィルの演奏の方がはるかに印象に残る演奏であったことは間違いない。 すっかり前置きの方が長くなってしまい、いよいよ1973年10月31日。ベルリン・フィル東京公演6日目のリハーサルを午前中に終えたカラヤン氏が、お昼すぎ四谷の上智大学を訪問された。我々上智大学オーケストラを指揮するために。 ことのきっかけは当時2年生だった女性部員が発案し、我々の署名を集め、直接カラヤン氏とマネージャー氏のところにお願いに行き実現したというウソのような本当の話である。前日(30日)にはカラヤン氏来校が決定し、我々も半信半疑で当日を迎えることとなった。会場はその日の朝からNHKのカメラや報道陣でごった返し大混乱に陥っている中、我々は練習も早目に切り上げカラヤン氏の到着を待っていた。 12:30、テレビカメラ用のライトに電源が入り緊張感が高まる中、カラヤン氏がインテンダントのシュトレーゼマン氏をはじめ何人かの関係者とともに到着した。カラヤン氏は黒のハイネックのセーターに茶とグレーのチェックのジャケットという洗練されたセンス、そして意外に小柄な感じであったが、何よりタカのような鋭い眼差しが印象的だった。カラヤン氏はまず我々の常任指揮者である汐澤安彦氏にベートーヴェン第九交響曲の第一楽章を指揮させるとともに本人はオーケストラの周りを歩き始めた。その音を聴きながら、そして時には楽譜を覗き込みながらゆっくりと・・。そしてカラヤン氏が指揮台のところに戻ると今度は第三楽章をという指示を出した。私はそれまでに何回ものステージを経験していたのだが、この時ほど緊張したことは前にも後にもなかった。それは一緒にいた仲間達も皆同じだったと思う。 気がつくといつのまにかカラヤン氏が指揮棒も持たず自分で指揮を始めていた。カンタービレ3小節目の弦楽器によるD・A・B・Fという二分音符をフェルマータのように一音ずつゆっくり長く弾かせ、「お互いに音をしっかり聴き合うこと」、「音を十分伸ばして、音と音の間を切らないように」ということを何度も繰り返しおっしゃられていた。何回か繰り返しているうちに音がどんどん変わって(もちろん良い方に)行き、我々自身驚きの連続だった。我々はもう必死で、楽譜などはほとんど見ずカラヤン氏の棒と表情だけを追い続けた。極度の緊張感の中での引き込まれるような不思議な力と宗教的なものに近い恍惚感、カリスマ性というものを私はその時生まれて初めて経験した。 そして再び第一楽章に戻り、その冒頭をカラヤン氏は指揮して下さった。「正確なテンポで」、「若いのだからもっとクレッシェンドを」、そして再三にわたり「音と音の間をあけないように、音楽の流れやフレーズを切らないように」ということをカラヤン氏はアドヴァイスしてくれた。考えてみればまったく基本的であたりまえなことばかりなのだが、現実としてそのことができていなかったことも事実である。実際、スコアを見ればわかるように、第一楽章第一主題は17小節アウフタクトからその後5小節間にわたり休符は一切書かれてない。にもかかわらず、我々もそう演奏していたのだが音符と音符の間に休符を入れている演奏の何と多いことか。よくカラヤン氏の演奏はレガートすぎるという指摘もあるが、私は楽譜通りに演奏するからこそあのような演奏になるのではないかと考えている。さらにその後カラヤン氏の演奏を聞くたびに、音と音の間をあけないこと、音楽の流れ・フレーズを切らないこと、つまり楽譜通りに演奏することがカラヤン氏自身が最も大切に考えていたことの一つであったということを私はつくづく実感した。 予定の時間を大幅にオーバーし、45分以上にも及ぶ時間があっという間に過ぎ、カラヤン氏はこの日のイベントのきっかけを作った女子学生のチェロにサインをすると、「来年ベルリンで開かれる学生オーケストラ・コンクールにあなた方を招待します」という夢のような言葉を残して我々の練習場をあとにされていった(了)。 |
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HIDAMARI 2006/11/14 22:46 |
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